課金で“自衛する側”にいる私が、広告規制に感じている事

私は常にカッコつけていたい

これは「格差を考えるシリーズ」の番外編です。
全5回で、「格差ってなんだろう?」や「なぜそれが問題なのか?」をこどもにも話せるように、ゆっくり考えていく予定です。

今回は、最近話題になった広告規制のニュースをきっかけに、
自分の「加担感」と「モヤモヤ」に目を向けてみました。
この記事では、日頃感じている自分の立場と、そのひっかかりについて書いています。


我が家は子どもをスイミングに通わせている。
ベネッセのチャレンジにも一時期加入していたことがある。(※経緯についてもモヤモヤが残ってるのでいつ書きます。)
子どもも見るので、YouTubeプレミアムのファミリープランに加入して広告が出ないようにしている。
今は大人しか使わないけれど、Safariには有料の広告ブロッカーも入れている。

つまり私は、いろんなものに「課金して自衛できる側」にいる。


お金を出せば、快適さや安心、あるいは「ちゃんとしてる親っぽさ」さえ手に入る現代社会の中で、
それらを利用している当事者のひとりだ。

でも、モヤモヤしている。


お金を出せば広告を消せる
お金を出せばより良い教育や習い事ができる
お金を出せば「悪いことを避ける」選択肢が手に入る

そうやって、「お金を使って自分を守ること」が、いつの間にか“自衛”と呼ばれるようになった。
広告ブロックやプレミアム会員、教育投資——
塾や予備校にも、同じようなことを感じる。

何かを“避ける”ために、あるいは何かを“得る”ために、自分でお金を払う。
それが、あたりまえになっている。

その全部が「課金で防げるよ」という言葉に変換されるとき
「それをしない人」や「できない人」が、まるで“守らなかった側”になる

最近話題になったネット上のエロ広告規制の話でも、
「子どもに見せたくないなら広告ブロックを入れればいい」とか
「親の管理が甘いのでは」とか、
そういう声が少なからず目についた。

エロ広告規制に否定的な人たちの論理は、正直あまりよくわからない。
「見たい人が見れなくなるのは嫌だ」よりも、「見たくない人に勝手に見せないでほしい」という気持ちのほうがずっと大きい。
規制自体には賛成だし、子どもを持つ親としてもありがたい。

でも本心では、規制される以前に、広告を出してる側が悔い改めてほしい
なんで被害を受ける側が、ブロックしたりフィルターをかけたりして防がなきゃいけないの?


私が怒っているのは、たぶん「課金する自由」があることじゃなくて、
「課金しないと守られない社会が“普通”になっている」ことだと思う。

これは、是正していかなければならないと思う。

でも問題なのは、私自身が今も課金しているということ。
その快適さを、今すぐ手放すつもりもない。

それでも——
「みんなそうしてるでしょ?」という空気に流されるのではなく、
せめてそこにある違和感だけでも、これからも手放さずにいたいと思う。

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