第3回|情報格差─「知ってたら防げた」は誰のせいかを考える

私は常にカッコつけていたい

前回の記事では、体験や選択肢の格差がどう広がっていくかを、私自身の生活を交えて書きました。
ほんの少しの「前提の違い」だけで、守れる人と守れない人が、自然に分かれてしまう。
それが当たり前になってしまっている社会に、私はどこか違和感を覚えています。

今回は、もう一つの「守れるかどうか」を分けているもの、情報ついて考えてみたいと思います。

知っていれば、防げたかもしれない

小さいことでいえば、私は以前、自宅の光回線をもっと安くできるということを知りませんでした。

乗り換え特典や割引があることも、電話一本で値引き適応されることも、そもそも定価でもっと安く提供してくれている会社があることも知らずに、何年も割高な契約を続けていました。
反対に、有料の広告ブロッカーを導入すれば、ブラウザ上の不快な広告が消えるということも知りませんでした。

たしかに、検索すれば情報は出てきたのかもしれません。 でも、そもそも「調べよう」という発想自体がありませんでした。

情報格差とは、「知らない人が悪い」では片づけられない差

「知らないから損をする」「知ってる人が得をする」

確かに、シンプルにそう言えなくもない。だけど、これだけでは見落としてしまうものがたくさんあると思います。

例えば、情報にアクセスできない環境の人、複雑な制度や専門用語で内容を理解できない人もいます。
また、

「調べて得をする」文化や、「変えてもいい」という体験がなかった人もいます。
これらは単なる情報の格差ではなく、知らないことが必ずしもその人の責任とは言い切れないのです。

知らない人が悪いのか

現状として知らない人が損をしているということはあると思います。けど、正直私は「知らなかった人に責任は全くない」と思っています。いえ、そう思いたいです。

知ってる人は、ただ先に知っただけかもしれない

自分は「知っていたから得をした」

でも、それってただ偶然タイミングがよかっただけかもしれない。知っている人も、偶然や環境によって情報を得られた場合が多いのです。
「努力して情報を集めた」という自負はあっても、その努力ができる状態にいられたこと自体が、すでに一つの特権だったとも思います。

社会のどこに責任があるのか?

では、「知らなかった」ことの責任は誰にあるのでしょうか?

  • 本人が調べなかったから?
  • 家族や周囲の人が伝えなかったから?
  • 学校教育で教えなかったから?
  • 情報が一部の人にしか届かないように作られているから?
  • 知ってる人たちが、知らない人を置き去りにしているから?

もしかしたら、その全部が少しずつ重なって、「知らなかった人」を生み出しているだけなのかもしれません。

「知らなかった人が悪い」で終わらせないために

私たちは、どうすればいいんでしょうか。

おそらくそれは、「知っている人」がどうふるまうかにかかっている気がします。

自分さえ知っていればいい。
身内だけが得をすればいい。

そういう態度が当たり前になってしまえば、情報格差はますます広がっていきます。

だから私は、「知っている人が、知らない人を馬鹿にしない」ということが大事だと思っています。それだけでも、社会は少し優しくなれると思っています。

おわりに

「知らなかったの?」「〇〇しないのは損」という何気ない一言が、その人の無力さを表してしまうことがあります。でも本当は、その人が無力なのではなく、社会や仕組みがそうさせているのかもしれません。

知っている/知らないという差で守れる人が分かれる社会を、「仕方ない」とは思いたくありません。

また、知っている側にいるときの私も、その責任を少しだけ背負っていたいと思います。

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