前回はSNSのデマや差別発言からファクトチェックの話を考えた。
今回はその発想のきっかけ学問の世界(特に科学の世界)とその現状の話
科学は反証可能である カール・ポパー
私の科学のイメージは、カール・ポパーの言葉「科学は反証可能である」ってやつが強かった。
でも正直、これを過大過大解釈してたかもしれない。科学の全分野が反証可能で、しかも反証すること自体にちゃんとインセンティブがある。そんなふうに思い込んでた。
実際にその例を聞いたことはあるんだけど、なんなら学問の世界がにその土台があるって勘違いしてた。
だから、「追試や反証を評価する仕組みがSNSのファクトチェックにも応用」できるんじゃないか、と単純に考えていた。今回はそれ勘違いかもって話。
勘違いに気づいたきっかけ
勘違いに気づいたきっかけは、水鏡推理シリーズだった。最新刊『水鏡推理VII ソヴリン・メディスン』を書店でたまたま見かけた。
このシリーズ自体は読んだことなかったけど、科学の不正を扱ってる小説だってことはなんとなく知っていた。ちょうど自分の中で「科学と不正」のテーマがホットだったので、シリーズの最初と関連する本をいくつか読んでみた。



所感として
こりゃまさに資本主義のよくないところが科学まで侵食してるように感じた。
誠実に研究しているのに目に見えやすい成果を出さないことが軽視されている。
その一方で、不正や誇張で成果をよく見せることがインセンティブになっている構造がある。不正や誇張で成果を「出しているように見せる」ことがインセンティブになっている。まさに資本主義的だ。
雑な言い方をすると、みんな「お金をもらうために」不正してしまう。もちろん科学者全員がそうじゃない。でも実際に不正している人たちは、だいたいお金(やそれに繋がる評価・インセンティブ)のためにやっている。
素朴な知的探究心で研究をしている人も、お金がなければ研究を続けられない。
社会的に意義のあることを実現したい善良な野心家も、資金がなければ前に進めない。
単純にお金が欲しい人は、より多くの研究費や助成金がもらえるテーマや手法に流れる。
しょうがないけど、結局みんなインセンティブを求めざるを得ない。
そして私の想像と違っていたのは、研究や実験の「再現性」がかなり低いこと。そして、そもそも再現を試みる実験研究すらあまり行われていないことだった。
科学者は悪なのか
でも、だからといって科学者や科学そのものが悪いわけではない。いわずもがな科学のおかげで「いま」がある。少なくとも実用的に使われる科学は信頼できる。科学者は「疑いながらも信じ続ける」態度を基本として、引用する論文はテーマや結果だけでなく、数字や経緯、可能なら経過観察まで丁寧に確認する。欲しい結果ばかりを見ていないか、自分を問い続けることも大事だ。
短期的成果優先の社会で生きる私たちも同じ。欲しい結果ばかりを見ない、疑うことと信じないことを混同しないことが大切だ。
実際に一部ではあるけど、追試や反証研究に少しずつインセンティブを与える動きも出てきているし割と有効そう(に見える)
正直言うと私は最初「科学の世界全体がこういう仕組みで回っている」と勘違いしていた。実際にはまだまだ限定的で、全体に広がっているわけではない。
それでも、この「インセンティブで検証や反証を促す仕組み」という考え方は、SNSのファクトチェックにも応用できそう
次回で最終回の予定です
今回読んだ本
・松岡圭祐『水鏡推理』(講談社)
・黒木登志夫『研究不正――科学者の捏造、改ざん、盗用』(中央公論新社)
・高橋昌一郎『反オカルト論』(光文社新書)
・中屋敷均『科学と非科学 その正体を探る』(講談社現代新書)
・スチュアート・リッチー『Science Fictions あなたが知らない科学の真実』 矢羽野薫 訳(早川書房)





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